映画メモ

観た映画記録帳。はっきり言って、長いです。お暇な人はどうぞ。

今日の映画キロク #6

他人の滞在意識に潜り込んでスパイ活動。未来の犯罪?いやもう既に今この瞬間に起こっても過言ではない。そんな装置があったならーー。
今こうしているのは、夢?それとも・・・現実?夢?現実?貴方は本物?

今日の映画は、インセプション

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これはなかなか説明が難しい。奥がとても深く、最後まで視聴者に謎・考察を残したままで終わるやり方がとても、憎い!
いや、今回はいい意味での憎い演出だ。

主役はレオナルド・ディカプリオ
他人の夢、すなわち滞在意識の中に入り、ある意識を植え付けるーーインセプション
ある男の依頼によりディカプリオ演じるコブは、依頼者のライバル会社を潰すため、会社の社長の息子に会社を潰すよう意識を植え付けるスパイ活動に協力する。
そのある男とは、渡辺謙である。彼は、ラストサムライで一躍ハリウッドの道へと進むことになったが流暢な英語ですべて演じている。
日本人なのに英語字幕で観るのはなんだか不思議な気分だった。
滞在意識とは何層にも落ちることが出来るのだが、夢に落ちていくのは大きなリスクを背負う。それを理解した上で、夢の『設計』を測り様々なミッションをクリアしていく。
冒頭、よくわからない展開から始まるのだが、よくあるドラマや本で使われる形式で、終盤になれば冒頭がわかるというものになっている。
宮部みゆきの本でもよく使われているラストスパートの一角。・・・な展開から始まる。

渡辺謙演じるサイトーから依頼を受けたコブは、まず5人の仲間を集める。そして本人サイトーも加わり、計画が実行される。
リスクは大いにあるけれどコブにはどうしても、という強い思いがある。どんなことをしてもこの願いは叶えたい。
けれどやはり山もあれば谷もある、という風に3転も4転も5転もしていく。

話の内容は、そんなかんじなんだけど、
根本的な考え方として、この映画が何を伝えたいのかをわたしなりに考察していくと、
インセプションとは他人の夢に入り、別の意識を植え付けることにより、目覚めたときその人間の人生までも変えてしまうことができる恐ろしいものであるということ。

話の中で、夢から醒めるためにはどうしたらいいのか?という答えに自分の『トーテム』を持っておくことが重要だという。
トーテムとは、dbdのゲームに出てくる光るしゃれこうべのことではない。
主人公コブのトーテムは『コマ』である。これは、今ここにいる自分が夢なのか現実なのかを見極める重要なアイテムだということ。
しかし、この『植え付け』は何度も劇中に出てくるのである。話はしなくても、何度もコブがコマを回すシーンがある。
そう、だからこの行為を劇中、見せることによって視聴者にも『植え付けている』のではないか。とも考察できる。

『このコマは、現実か夢かを見るためのものだ。夢だったら、コマは回り続け、現実であればコマは揺らぎいつか止まってしまうだろう』
この説明と、コマを回すシーンを視聴者にも植え付けているというものだ。

それで、観ている側にもなるほど、と理解させる。
夢と同じだ。
夢の中で夢だと意識しなければ夢をみていることはわからない。だが、夢をみているのだ、ここは夢だ!と意識したらその時点で意識も揺らぐ。
最後のシーンでコマを回すのだが、最後までは見せずに映画は終わる。
そこで視聴者には謎が永遠と残る。それが、にくい演出なのだ。
だからこの映画は、良作にもなるし意味がわからんと不評価にもなる。しかしやっぱりはよく作り込まれているので全体的にも評価は高い。
謎を残せば考察される。
映画とはその人の記憶に残るか残らないか。
謎を残して終わる終わり方も、劇中の話がどんだけうまく作り込まれているかにも作用するのだと思う。

いろいろな考察案があるけれど、コブの夢が現実になったというものだと理解する。
例えコブの世界が夢であろうと、彼の夢は叶ったのではないかと私は考察した。

しかしながら、少しだけ違和感があるとも思ってしまう。それは最後のシーン。
私には、それが『とてもよくできた世界だと思ってしまった』のは、最後の空港のシーンは、コブ視点で展開していく。
それが妙にリアルだったことだ。飛行機内で目覚めた時から家に着くまでに、彼の無意識な意識がとてもよく働いている、と思った。

例えばこれは、『今日は早く仕事を切り上げよう。明日はやっと休みだ!帰宅したら何をしよう。・・・そうだった久しぶりの彼と飲みに行く約束してた!』という計画があるとして、
帰宅したら家族がまず『おかえり』と言ってくれるのを無意識に意識しているとしよう。これは自分にとってのいつも生活習慣で見慣れた光景であるからそこには何も可笑しな問題などない。
とても自然な生活リズムの一環であるのだ。

しかし、無意識とはとてもやっかいな予知であり、夢であり、そして現実なのだということ。
だから仕事の休憩で一休みとでもうたた寝てしまったとして、そして夢を見るとする。するとその夢の中では、定時になり既に帰宅したという夢をみたとしよう。
起きている現実でも同じように夢でも『おかえり』と家族に言われて「ただいま」と答える。
そして『意識している現実の中で会った彼』も、その場にいて貴方を出迎えてくれるのだ。現実では彼は、そこにはいないのに。
夢だからその場に居る。それを不思議だとは気づかずに。。


だから最後のシーンでは、個人的考察すると、夢の中では理想を求めて叶うことができるのだ。――――会いたいと思った相手がすぐそばにいる。
そういう描写が、最後のシーンでとても自然に描かれていたのではないかと思う。だがこれは私の考察であるので正解はわからない。

実際には居ない人物たちが、自然と主人公コブを出迎えている。それは映画中に出てくるあの時の約束の記憶があるからだと私にはそう思えた。コブが強く想う願い(欲求)である。
この願う記憶が無意識に彼の脳裏に焼き付いている。それは彼が理想する現実(リアルさ)には彼の強い意志が働いているからだ。だから夢の中でも違和感なく自然にその者が登場したのではないかと。ただここの最後の空港シーンは本当は現実世界に戻ってきて、自然と偶然が重なってスムーズに事が運んだのではないか・・・?とも考えられる。
でもそうすると、あの教授はどうして出口で出迎えていたのだろう?コブがどの空港を使うかもコブが教授に教えていたのだろうか?少なくとも映画の中ではそういう描写シーンはなかった。

これは現実だな、と思えば現実だし、夢だなと思えばそれは、その人にとっては夢なのだろうと思う。…だがどの考えが正解であるかの答えはない。映画中も、そのあとも。
余談だけど、映画の最後の子供の服だけは色を変えたという小ネタがあるらしい。
さて、コブの『現実』は、いったいどっちなんだろうーー。

気づくも気づかないもどちらにせよ、主人公コブにとっては、幸せなのだろう。

けれど観ている側は永遠と謎だけが残っていく。
そういったとても構成演出は上手く出来ていてとてもおもしろかった。

滞在意識、夢、考察、などに興味がある方には是非ともお勧めしよう!