映画メモ

観た映画記録帳。はっきり言って、長いです。お暇な人はどうぞ。

今日の映画キロク #15

あの名作を実写化、しかも今回はあの魔女が主役…?!


今日の映画はマレフィセント』(『マレフィセント2』もあるよ。)
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『眠れる森の美女』の有名なお話と似てはいるんだけど、どこか違う。その視点で描かれているのはある美しい翼を持った彼女のお話から始まる。
眠れる森の美女では、優しい王様と王妃様そして愛らしく可愛い王女様が誕生して、三人の優しい妖精おばちゃんたちが恐い魔女から呪いを受けてしまった王女様(赤子)を16歳になるまで森の奥深くで育てるって話だったよね。
もう全く違う視点で描かれてはいる。
というか、全体的に見て、序盤は、善と悪がはっきり分かれている見せ方をしているって思った。

昔のディズニーや昔話の書き方は、それだったんよねぇ。例えば、桃太郎は鬼退治に行って鬼を殺す――でも今の昔話の最後は、鬼と仲良く暮らしましたとさ、みたいになってるらしい。
殺す。や死にました。の表現を使わなくしてるらしい。それが教育なんだと思ってる節の日本の教育がちょっと疑問抱くけどね。
本当な事は有耶無耶にせず書いた方がいいと思うけど。生きているんだから死もあるわけで、変に優しい世界であることは意味がない。でもこの桃太郎の話自体、間違ってるんだよね。
本当の話は、じいさんとばあさんが川に流れてきた桃を食べたら若返って、2人で夜のハッスル!ハッスル!したら、桃太郎が生まれましたって話だったんだけど、明治?大正?の頃に「これじゃあ、話がよくない(教育的に?)」ってことで
今の桃太郎話になったらしいねww
だからそれ以前の日本は、性に対してあんまり過剰になってはいなかったと思う。
将軍も男衆っていうのは習わしみたいなものだったし、それをみて民衆もBL文化を嗜むようになっていったと言われているし。

誰が悪人か善人か、っていう分け方で映すって今のディズニー映画では珍しいことだと思う。
昔は普通だったけど、昔のディズニーは人種差別表現は結構あったんだよね。それは戦争中においてとか、日本人や黒人が標的だった。
ウォルトディズニーは白人だからね。欧米人は他国の見かけをよくバカにしてそういうことが描かれてたりしたんだけど、今はだいぶ抑えられていたり、訴えられたりして少なくなってきてる。
あとよく思うのは、黒人が出てきているってことだね。
このマレフィセントでも、絶対昔は出てこなかった黒人俳優を起用してる。
あ、これディスってるように聞こえるかもだけど、私はディズニーで育ってきた人間だから批判ではないんだ。
ただそういう事実があったってこと書きたかっただけ。


本当に今のディズニー映画を観てみると、黒人っていうのは「チビくろサンボ」のように一見可愛いように呼んでるけど、
自分たちの近く——そこに生きている黒人たちを下からの目線で呼んだりするような人種であるって思ってたのか(もう今は訴えられて、その本自体消えてるよね)
黒人の起用は一切なかった。だからある意味、今すごく違和感を抱くんだよなぁ。


余談いっぱい書きすぎちゃった(;´Д`)話の内容は、ある国には2つの王国があって、妖精の国と人間の国。でも、とっても仲が悪かった。
そんな中、美しい自慢の翼を持ったマレフィセントが少女の頃に同じく、少年の王子と出会う。
二人は将来一緒になることを夢見ているけど、少年が成長し王様になった頃、自分の野望を果たそうと純粋な心は闇落ちして、妖精の国を滅ぼそうとする。
マレフィセントは騙されて翼をもぎ取られてしまって——から始まる話。
眠れる森の美女は悪い魔女がまだ赤子の王女に呪いを掛けに来る話の、前の話が描かれている。

人間に捕まりそうになったある1匹のカラスを魔法で助け、その見返りにしもべとして、自分の目になってほしいと。
彼女を苦しめた原因となる王様側、おばちゃん妖精たちの素性が凄く…卑劣だし悪としているところ、本来アニメの方と比較すると正反対で描かれてる。
王様と王妃様が立場的に悪い対象として描かれることってないと思うんだけど、結構それが斬新。
終盤で実の親子なのに魔女という恐怖に支配された父親に投獄されてしまうのは傷つくよなぁ。年頃の娘やぞ。しかも初めて会ったといっても過言ではない!くらいなのに。
おばあちゃん妖精たちは大雑把でネグレスト。そんな育児にいてもたってもいられないマレフィセントがカラスと一緒に王女である彼女を見守っていく。
カラスは人間にも化けることができるし、王女の良き遊び相手でもある。
やがて運命の16歳になるんだけど、その頃には王女とマレフィセントは良き仲になっていて一緒に暮らしたいと言われる。

でもどうしてもその呪いは絶対的なものになってしまっていて、解くことができない。悔やんだ末、呪いは現実に。
でもここで違うのは、キスなんかじゃなくて、真実の愛。
真実の愛ってどういうこと?――ってのが、ここの映画のキーポイントになってくる。


あくまでも、これはマレフィセントの話であって、マレフィセントの目線で描かれているもの…とも言い切れない描き方をしているところがまたいいんだよね。
かつて人を愛して、裏切られても、また愛する人を見つけることが出来るんだよっていう。
遅くなったけど、マレフィセント演じるのは、アンジェリーナ・ジョリー
胸の癌を乗り越えて、養子を6人迎えてる。子供が好きなんだろうね。でもブラピとは破局したんだよね。
ここでもまさに王女と親子のようにつつまじい仲を発揮してるように見るんだけどw

この王女は、カメラが映す度に笑っている印象しかないくらい笑う役だった。
明るく勝気な性格になったしきっと妖精ばあさんたちよりもマレフィセントの方が子育てに向いてたってことなんだろうな笑

もぎ取られた翼が鎖で繋がれていると気づいた王女が解き放して、主の元に戻った姿は、かつての力を取り戻したマレフィセント
王女を助け出すことに成功して、1つの王国を復活させる。
人間の王女は、妖精の国の王女となった。ってとこでマレフィセントの「1」は終わり。


マレフィセント2』
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「1」で平和を再び取り戻した妖精の王国。人間でもあるけど妖精たちに恐れず愛されている王女オーロラ姫。
だけどやっぱりマレフィセントのように少女も国の王となる青年と恋に落ちる。
此処を離れて暮らすんじゃないかって心配になるマレフィセント
言葉が足りずにやっぱり喧嘩した王女は王子の元へ。
そこで結婚式の前の食事に妖精国の魔女であり、今は王女の親でもあるマレフィセントを招待しようとする。

でもこれ結構な罠で、国全体…というか全妖精を全滅させるって魂胆があった。
それも自分の夫と息子、そして王女もはめるつもりで。
その陰謀を考えたのは‥‥ってもうわかると思うけど、
本当に「2」の方は、すっごくこれも悪っていうのがまるまるわかるほどの見せ方してるんだなぁ。
最後の最後まで憎たらしくって、この役よく引き受けたなって思ってしまうほど。
大人は…たまにいるけど鵜呑みにしちゃう純粋な子供がいたら街でこの役やった女優さんを見かけたらトマトや生卵投げられてしまうんじゃないか?って
くらいの悪行だったのでちょっと心配になったよ。
それだけじゃなくて、「2」ではマレフィセントの心の問題にも触れる話になっていて、
怒りを持って制するのではなく、いつも自愛の精神でいなさい、ってシャーマンみたいな人が教えてくれる。
マレフィセントは本当の両親を知らない。自分がどんな妖精なのかも知らなかったんだけど奇跡的に助けられたその人に出会って、本当の自分を見つける。
「2」はいろんな人の成長を描いた話だと思う。マレフィセント目線だけど、その中に娘の心の成長や自分自身のこと、その中でやっぱり見つける本当の愛の話。
いろんな愛があるんだってこと。
でもやっぱり愛をわからない憎しみであり続ける人は、やっぱり映画の中での表現としての「悪」でしかないし、
この映画の特徴として、すごくそこははっきりとして分かりやすかった。
妖精は善、人間は悪。良い人間は…善?みたいな感じ。

アンジェリーナジョリーの頬骨が凄いくっきり浮き出ていて凄く気になったなー。
原作と似せたって感じもあるんだろうけど。でも実写版ではとてもふつくしい—‥‥役で合っていた。
でも原作のマレフィセントも好きなんだよねぇ。実写版観る前から思ってたけど醜い行いはするけど呪いとは憎しみから来てる行いでしょ。
本当は美しい人だったんじゃないかって思うところもあるし、ダークな感じはかっこいいんだよなぁw

映画の中で着ているドレスは憧れるし、デザイナーさんはとても楽しかったんじゃないかな。演じる女優さん2人にも勿論映画の雰囲気にも合ってる衣装を作るんだけど、
マレフィセントのゴス系とオーロラ姫のロリータ系は観ていて私も楽しかった!本当に2人に似合っていたしね。
「2」では、既に『眠れる森の美女』どこ行った?!って感じになってるんだけどね。あといつも思ってたんが、「眠れる森の美女」って語呂合わせ悪いよなぁw
日本語としてもどうなんだ?もっとうまいこと語訳してタイトル付けられなかったの?って思ってるんだけどw